染色体の、分かれ方。

あなたの体の中にある 一つ一つの細胞は、あなたの母と父から受け継がれた染色体を同じ数だけ持っています。 細胞が分裂する際、染色体をコピーして均等に娘細胞に分配するからです。 ところが例外もあって、母と父の染色体を分かれさせる分裂もあります。 精子や卵子をつくって、新しい生命を生み出そうとするための分裂です。 染色体が分かれるとき、どのようなドラマがあるのでしょうか。


染色体分配の動画


たった一つの細胞から

あなたの体も、もとはたった一つの細胞でした。その細胞は受精卵と呼ばれ、卵子に精子が融合してできたものです。卵子と精子はそれぞれ母親と父親の体の中でつくられました。卵子のもとになる細胞は卵母細胞と呼ばれ、母親の卵巣の中に蓄えられていました。

卵母細胞

卵母細胞は特別な細胞です。減数分裂という特別な細胞分裂を起こすことで卵子となり、受精を経て胚発生のスタート地点となります。その特別な役目を果たすために、卵母細胞は他の細胞には見られない特別な特徴をいくつも備えています。例えば、もっとも明らかな特徴の一つは、その細胞サイズです。成長したヒト卵母細胞は直径0.1 mmほどあり、他の細胞と比べると文字通り桁違いに大きい細胞です。卵母細胞が卵子となり、受精して胚発生を開始する。卵母細胞がたどる過程は生命現象の中でもっとも神秘的でドラマティックな時間の一つです。

染色体の分かれ方

私たちは、この卵母細胞を舞台として行われる現象の中で、特に染色体分配という基本的な細胞内現象を理解しようとしています。染色体は遺伝情報の担い手です。卵母細胞は減数第一分裂において、母由来と父由来の染色体を分けるという特別な様式の染色体分配を行います(還元分裂)。続いて起こる減数第二分裂では、DNA複製を介さずに、受精の瞬間に染色体分配を行います。受精卵はDNA複製を経て、一度目の卵割の際に染色体分配を行います。これらの染色体分配は、3回の連続した細胞分裂におけるものでありながら、本質的に異なるものです。私たちは、それぞれの背後にある染色体分配の仕組みとその違いを理解しようとしています。それが理解できれば、卵母細胞がどのような戦略や道具を備え、またそれらを上手く使い分け、あるいは苦心し、時には失敗するのか、そのドラマを知ることができると考えています。

染色体の分かれ方の誤り

実際に卵母細胞は、特に減数第一分裂において、染色体分配を苦手としているようです。正常には、母由来と父由来の染色体が同じ数だけ分配されなくてはならないのですが、これが異常に偏って分配されてしまうことがあります。 一般に10-30%という非常に高い確率で、このような染色体分配の誤りが起こっていると考えられます。 このような誤った分かれ方をしてつくられた、染色体数が異常な卵子のほとんどは、受精したとしてもまもなく死んでしまい、流産となります。 出産まで至るケースもありますが、この場合、誕生した子供は重篤な先天性疾患を持ちます。 ダウン症はその代表的な例です。

年齢と共に上昇する誤りの頻度

重要なことに、この染色体の分かれ方の誤りの頻度は母体の年齢と共に上昇します。 医学的に確認された妊娠の中でみると、30歳で約5%、35歳で約8%、40歳で実に25%もの胎児が染色体数に異常を持っており、これらの多くは卵母細胞における減数第一分裂の誤りに起因します (Hassold & Hunt 2001 Nat Rev Genet)。妊娠の確認まで至る前に死んでしまうケースも多いはずですから、実際の減数第一分裂の誤りの頻度はもっと高いはずです。

リスクによる少子化

近年のライフプランの変化から、出産年齢が上昇しています。30歳を過ぎて出産を考えている、もしくは経験のある方の中には、これらのリスクに不安を覚えた方は多いのではないでしょうか。私の家族もそうでした。これらのリスクは高齢での出産をためらわせ、少子化の一因にもなっていることは間違いないでしょう。

染色体が分かれるまでのドラマを見る

チームリーダーの北島は、ドイツEMBLのJan Ellenberg博士の研究室に在籍していたとき、マウス卵母細胞の減数第一分裂の過程を詳細に解析することに成功しました(Kitajima et al 2011 Cell)。 生きたままの卵母細胞を自動化した顕微鏡で観察することにより、染色体の動きのムービーを高解像度で録画したのです。 そこには、母と父の染色体が分かれるまで、予想以上に長く困難なドラマが映しだされていました。

母と父の染色体を分けるために伴う困難

母由来と父由来の染色体は、初めはペアになってくっついています。これを最終的に、反対方向に均等に分けなくてはいけません。分けるための装置となるのが、微小管から成る紡錘体です。一般的に、細胞には中心体という微小管を重合する構造が2つあって、これらが紡錘体の二極となります。二極から伸びた微小管は、やがて染色体を両方向から捕らえ、反対方向に引っ張って、これらを均等に分けるのです。ところが卵母細胞は、このような便利な中心体を持っていません。その代わり、80以上の微小管重合中心が細胞の中に散らばっており、まずはこれらが微小管球と呼ばれる、極性に欠けた装置をつくります。 染色体にとっては、これは困った事です。彼らは反対方向に引っ張られなくてはならないのに、微小管球には方向を定義する明確な極がありません。

染色体のベルト

撮影されたムービーは、この状況において卵母細胞が編み出した苦肉の策を捉えています。卵母細胞の減数第一分裂では、染色体は微小管球の表面を滑るように移動し、球の赤道面上へ到達します。その結果、微小管球を染色体のベルトが巻いたような形になるのです。染色体はベルトのように集合することで、自ら微小管に方向性を提示し、反対方向から捕らえやすくしているのかもしれません。でもどうやって、染色体は微小管に方向性を指示できるというのでしょうか?私たちの研究チームでは、その機構を理解するための研究が進行中です。

誤って引っ張られやすい染色体

染色体ベルトがつくられるころになってくると、微小管球は徐々に二極性になってきて、最終的に紡錘体をつくります。しかしながら、まだ不完全な間は、染色体にはランダムな方向から微小管が伸びてきます。ムービーは、染色体が誤って微小管に接続される様子を捉えています。この誤った接続の頻度は非常に高く、一方で正しい接続はなかなか安定化しません。私たちの研究チームは最近、この接続の誤りの原因の一つに、減数第一分裂特異的な染色体構造が挙げられることを提唱しました(Yoshida et al 2015 Dev Cell)。

誤って、修正して

卵母細胞が染色体を正確に分配するためには、これら誤った接続を正しいものへと修正しなくてはなりません。どのように修正が行われるのでしょうか?この機構の詳細を理解するためにはさらに研究が必要ですが、修正のための必要条件が、少なくとも2つあることが分かっています。一つは染色体が微小管に正しく引っ張られたときに生まれる張力です。微小管は染色体上の張力を感知して安定化するようです。もう一つは、紡錘体チェックポイントと呼ばれる機能です。これにより、接続の修正が完了するまで染色体分配が起こらないようにするのです。ところが卵母細胞は、これら修正の必要条件を揃えるのが苦手なようです。

老化にともなう染色体分配の誤りの原因

母体の老化にともなって、卵母細胞では、張力を生めない染色体が増えてくるのです。私たちの研究チームでは最近、老化したマウスの卵母細胞を用いて、染色体分配の誤りが起こる過程を直接撮影することに成功しました(Sakakibara et al 2015 Nat Commun)。これにより、老化にともなって起こる染色体分配の誤りの主要な原因が明らかになりました。前述のとおり、若い卵母細胞では、染色体が微小管によって引っ張られると張力が発生して接続の修正を行うことができます。これに対し、老化した卵母細胞では、染色体が微小管によって引っ張られると、その力に耐え切れずに引きちぎられてしまう様子が観察されました。こうなってしまうと、染色体は正しく張力を生む術がありません。したがって染色体は微小管に誤って接続されたままとなり、染色体分配の誤りへと至ってしまいます。では、なぜ老化した卵母細胞では、染色体は微小管から受ける力に耐え切ることができないのでしょうか。卵母細胞では染色体接着を担うタンパク質が老化にともなって染色体から減少することが知られており、それが原因なのかもしれません。もしそうだとしたら、染色体接着を担うタンパク質はなぜ老化にともなって失われてしまうのでしょうか?「卵子の老化」の本質とは何でしょうか?その答えを知るために、チームはさらに研究を進めています。

最後の砦も頼りない

染色体と微小管の接続の修正を行うための必要条件、そのもう一つが、紡錘体チェックポイントです。紡錘体は異常な接続を感知して染色体分配の開始を妨げることで、正確な染色体分配を保証する機構です。細胞にとっては、正確な染色体分配のための「最後の砦」です。通常の細胞では、この紡錘体チェックポイントは極めて厳密に働きます。つまり、染色体のうち一つでも誤った微小管接続を持っていれば、紡錘体チェックポイントは染色体分配の開始を許しません。これにより、染色体分配の誤りを瀬戸際で回避することができるのです。ところが、卵母細胞はこのような厳密な紡錘体チェックポイントを持っていません。誤った接続を持った染色体が数本あっても、卵母細胞はあっさりと染色体分配を開始し、誤った分配としてしまいます。なぜ卵母細胞は厳密な紡錘体チェックポイントを持っていないのでしょうか?研究チームは、その合理的な答えを探しています。

卵母細胞、卵子、受精卵。それぞれの事情と染色体分配。

卵母細胞の減数第一分裂は、上述のとおり、さまざまな事情により染色体分配が苦手なようです。私にはその事情とは、卵母細胞が担う特別な役割とリンクしているように思えます。卵母細胞は与えられた特別な役割を果たそうとするあまりに、細胞の基本的活動である染色体分配が苦手になってしまったのかもしれません。卵母細胞をもとにつくられる卵子や受精卵は、時間的に連続した細胞でありながら、それぞれが異なる役目を与えられ、したがって異なる事情を持っているに違いありません。それが染色体分配という基本的な細胞内活動にどのように影響するのでしょうか。また、それら異なる事情の中で染色体分配を達成するために、どのような戦略を見出し、使い分け、苦心し、ときには失敗するのでしょうか。

そして見えてくるもの

私たちは、確立した卵母細胞の高解像度ライブイメージング技術を最大限に活用し、卵や胚の顕微操作技術、遺伝子工学技術を組み合わせることで、卵母細胞が卵子となり受精卵となる一連の過程における染色体分配の機構を明らかにしていきます。この研究を通し、細胞生物学に発生学、生殖学、老化学の視点を融合させた新しい領域を切り拓きます。基礎研究から得られた成果を、生殖医療、不妊治療分野との連携研究に活かしていきます。これらの研究成果は、不妊や先天性疾患のリスク診断や、これらに対する将来の医学的アプローチの基礎となることが期待されます。